「ソト」から見たおおあらいVol.10(寺門一義様)
大洗ゴルフ倶楽部 理事長 寺門 一義(Terakado Kazuyoshi) 1952年生まれの茨城県常陸大宮市出身 |
相思相愛
大洗町の皆さん、こんにちは。大洗ゴルフ倶楽部(大洗GC)理事長の寺門です。日頃、何かと大洗GCにご支援を賜り、有難うございます。
私は、常陸大宮出身で、現在、水戸在住通算36年になります。「ソトから見た」に該当するか微妙ですが、國井町長から突然のご指名を頂戴し、筆を取らせて頂いた次第です。私と大洗の繋がりについて、二つの切り口で話をさせて頂きます。
まず、第一が「釣り」。父親が釣り好きで、子供の頃、川・沼・海を問わず同行させられました。大洗への釣行は、主に夏海・大竹のイシモチ釣り、堤防・漁港でのサバ釣りでした。釣果の記憶はあまり有りませんが、地元釣具店の「先週はカマス一杯釣れた」という、何時も「先週」の話が記憶に残っています。釣果が無い時は帰途のロードサイドで釣果を調達。小学生時代の良き思い出です。
その後、すっかりご無沙汰したものの、社会人となり釣りを復活。会社の釣りクラブの幹事を務め、結構楽しみました。好みのスポットは涸沼川のセイゴ(時々フッコ級)、エラ洗いの跳ねる姿が忘れられません。そして、船頭付き川船で水族館沖の五目釣り(アイナメ、カサゴ、メバル等)。先調子の細い竿で強い引きを堪能した記憶も。
自分の包丁を揃えたのもこの時期。釣った魚を自分で捌き、大洗で狩猟時代の「男のロマン」を感じさせてもらいました。
「男のロマン」も第二の切り口「ゴルフ」で急速にしぼんでしまいました。「バブル」の時代背景や会社での新役職(支店長)が切っ掛けでした。支店長(多賀)に就任し、取引先のゴルフ熱の高さに驚かされました。取引先に大洗GCのメンバーも多く、支店コンペでよく利用しましたが、私には難しすぎ、どちらかと言うと敬遠の対象でした。
一変したのが2005年。本部の部長に就任し、大洗GC法人会員として登録。更に2017年に理事長を拝命し、大洗との繋がりは急速に深化していきました。
大洗GCの開場は1953年。当時の友末知事が、白砂青松の景勝の地「大洗」の更なる活性化のため、町の同意、地元経済界の協力を得てゴルフ場建設を決意。名匠井上誠一氏の手によって我が国屈指のシーサイドコースが誕生しました。
白砂青松は防風林・防砂林でもあり、大洗GCの敷地の7割が町有地。大洗町は地主であり、地主・家主は親も同然、様々なご支援を頂戴し、改めて感謝申し上げます。
最も印象的な出来事は、2019年の茨城国体。大洗GCが成年男子会場に選定され、ゴルフ場一丸となって整備に取り組みました。大会直前の9月9日、台風直撃によりゴルフ場一面が松の折れ枝で覆いつくされ、大会開催も危ぶまれたものの、役場から大勢の職員の皆さんの支援を頂戴し、人海戦術で折れ枝を取り除き、無事、開催に漕ぎつけました。
本県が圧倒的な強さで優勝し、天皇杯獲得に貢献。全国選手からコース整備に関し高い評価を頂いた背景には、町の手厚いご支援がありました。
一方、大洗GCメンバーの「大洗愛」も半端ありません。一例が「地域振興協力金」。1991年に創設され、メンバーは1プレーに付き500円を拠出。創設以来の協力金贈呈額は、652百万円余。昨年「ふるさと納税」も開始し、約8百万円がメンバーによって納税されています。
大洗GCの従業員約100名の内、1/3強の38名が町民。また、歴代町長は大洗GCの母体(株)水戸カンツリー倶楽部の取締役に就任、國井町長も6月の総会で取締役に選任されております。
大洗町は「親も同然」と書きましたが、まさに「相思相愛」の関係です。今、大洗町は様々な地域資源を活用し、「良いものを安く」で、訪問客の増加に取り組んでいます。更に必要なものは、「男のロマン」にしても「対面サービス」にしても「途轍もなく良いものを、適正な値段で」です。
大洗町は、それだけの地域資源を持っており、後はアイディア次第。大洗で夕陽を見るサンセットクルーズ、グランピングやキャンピングカーの聖地化、大洗食材を健康志向に結び付けるファーメンテーションミュージアム(発酵博物館)等々。
今、大洗GCは、「お客様接遇 日本一」を目指しています。「途轍もなく良いものを、適正な値段で」の一翼を担えるよう、「相思相愛の良きパートナー」として、最大限努力して参ります。今後とも宜しくお願い致します。