「ソト」から見たおおあらいVol.22(小口正範様)

国立研究開発法人 日本原子力研究開発機構

理事長

小口 正範(Koguchi Masanori)

1955年 栃木県宇都宮市出身
元三菱重工業株式会社 取締役 副社長執行役員 最高財務責任者
2022年 日本原子力研究開発機構 理事長就任

 

大洗町の皆様、大洗町に大きな研究施設を置かせて頂き、日々ご支援を頂いております日本原子力研究開発機構の理事長にこの4月着任しました小口と申します。よろしくお願いします。今回は多くの著名な方が寄稿する「広報おおあらい」に拙文を載せて頂く機会を頂戴し、誠に名誉なことだと思っております。とは申せ、浅学菲才の身ですので、これまでの方々のように大向こうを唸らせることはできませんが、私の大洗町に寄せるささやかな愛の一端をご披露させて頂きます。

私は栃木県出身で、大洗といえば海水浴場、海なし県に生まれた私にとって夏の臨海学校は本当に楽しみな行事でした。日立の河原子と大洗が通り相場でしたが、河原子がやや冷たい海であったのに対し、大洗は少し暖かい海であったような印象があります。わずかな距離でそのような差があるのは理解しにくい面がありますが、きっとそれは大洗に住む人々の暖かさが体感として現れたものではないかと思われます。

長じて私は三菱重工業に入社し、若い頃原子力事業の主幹事業所であった神戸造船所に勤務しておりました。その頃は我が国の原子力発電の設備増強が最盛期を迎えたところで、新設炉の製造・建設と、当時課題を抱えていた重要機器の設計改善とで、事業所全体が沸騰状態でした。私も照射関係の仕事で大洗研究所を訪問したことがありますが、その公園のように整備された緑豊かな広大な敷地の中に散在する白亜の建物群に眩しさを感じました。まさか、三菱重工を去って機構の人間になり、この研究所を経営することになろうとは当時は夢にも思いませんでした。

私は二度ほど神戸造船所に勤務しましたが、その二度目、丁度課長になったばかりの1995年1月に阪神大震災に遭遇しました。私が住んでいたのは東灘区という所で、同じ町内で200人以上の人たちが亡くなりました。

建物は崩壊、火災も発生し、それは地獄絵ともいえるものでした。勿論、交通や通信などの社会インフラだけではなく、水、電気、ガスなどの生活系インフラもすべて寸断されました。その時身に染みて感じたのは電気の有難さでした。真っ暗な夜が如何に恐ろしいか初めて知りました。ある意味水やガスは何とかなります。でも明かりがない状態は精神的にきついものがあります。人間と他の動物との差は火を使えるかどうかにありますが、それは煮炊きができるかどうかではなく、夜を克服できるかどうかにポイントがあったような気がしてなりません。

今、原子力というエネルギーの技術基盤を支える組織に身を投じていますが、この時の思いを胸に、安全を最優先に、我が国に電気を安定的に供給することの重要性を再認識し、機構の活動を通じて社会に貢献して参りたいと思います。

大洗町の皆様、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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